前日
次の日の朝、僕は体調が悪かった。
親戚の叔母さんの差し入れのおにぎりを食べると、少し元気がでた。
この日は、親族の方々と葬儀関係の話になった。
葬儀費用の問題もあったが、何より納骨できるお墓がなかった。
離婚した母は墓に入る権利がないとのことだった。
葬儀屋を手配する人達、寺へ行ってお坊さんの手配をする人達とに役割りを決めて、それぞれに散っていった。
僕はお寺へ行くチームと行動を共にした。
夜には病院に戻り母に付き添った。
午前0時頃、病院の廊下に用意した簡易ベッドで就寝。
当日
次の日の朝、6時に起床。
その日、母は測ることが出来ないくらい血圧が低かった。
僕は、兄と姉の3人で仮墓を置く場所の準備に向かった。
仮墓とは、40~50㎝程度のコンクリートの墓のことで、本墓に納める前に、一旦その中に納骨して保管しておくのに使う。
親戚の墓の片隅に、その仮墓を置かせてもらえることになった。
誰も来てないような草だらけになっている墓地の一カ所、3人で草刈りをした。
終わる頃には衣服にアメリカセンダングサがたくさんついていた。
昼頃、食事をした後、病院へ戻った。
親戚の人達が、葬儀の段取りで言い合っていた。
その言い合いに僕は参加せず、ただ横で聞いていた。
14時頃、母の心拍数が減ってきた。
僕たち兄弟は病室に入り、母に寄り添った。
僕はベッドの横に座り、母の身体に触れながら耳元で声をかけ続けた。
心拍数を表示する画面の数値が、少しづつ減っていった。
母の目は、うっすらと開いていた。
瞳孔が開き、まばたきはしていない。
生気のない目だった。
どんどん心拍数は下がっていった・・
そうして、15時43分。
「0」になった。
処置室を出る最後に、兄と僕は母に向かって合掌した。
なぜか、安堵感を感じた。
母の亡くなったことを聞き、僕の友人が何人か来てくれた。
「何か出来ることがあったら何でも言って」
そう言ってくれる友人達の存在は有難かった。
17時頃、母の遺体は霊安室へ
姉が母に化粧をしてくれた。
姉は看護師なので手慣れた雰囲気だった。
わずかな血しぶきが着いていた母の唇は施され、少し艶やかになっていた。