⑤シングルマザーに育てられ~中学生時代

島では、3月頃からテッポウユリが咲き始める。

島の最東端に、細長く2キロにわたって海に突き出した岬がある。岬の幅は最大の箇所で160mほど。岬の周りは高さ20m程の崖になっている。

その断崖絶壁の崖の上にテッポウユリが咲き誇る。強い海風が吹く度にテッポウユリが揺れる。その風景が僕は大好きだった。

僕が中学生になると同時に、今まで住んでいたアパートより、もう少し広いマンションに引っ越しすことになった。

 4階建てのそのマンションは、窓から少し離れたところに公園が見えた。その公園からは夏になると蝉の声がよく聞こえてきた。窓を開けてしばらく耳をすましていると鳴き声がうねりだしてきて、もはや何の音だかわからなくなってしまうくらい凄い音量だった。都内に住む今でも、夏に蝉の鳴き声を聞くと思い出す。

マンションでの新しい生活が始まり、気持ちも新たになっていたが、その中でも、ひときわ大きな変化があった。

なんと、母の彼氏が新しくなった。2人目の”おじさん”の登場だった。

しかし、その新しい彼氏には実は妻子がいたらしい。そのことによるトラブルもあったが、その話は後述しようと思う。

とにかく、その彼氏はしゃべりが上手く、顔も広かった。母とはその後、長く付き合うことになる。


中学生になって、最初の頃は、母の仕事が終わるのを見計らって職場に行き、一緒にスーパーで買い物をして帰っていた。しかし、学年が上がるにつれ、次第にそんなことはしなくなり、母との接点は少しづつ薄れていった。

ケンカが弱く、いじめられたりしたこともあったが、何より典型的な思春期だったのだろう、理由はわからないが、僕はずっと自分の居場所が無いように感じていた。中学時代のほとんどの間、僕は母を含め、自分の家族が嫌いだった。


3年生になると授業をサボるようになった。給食を食べ終わると午後の授業は出ないで鞄を持って友人の家に行って遊んでいた。ある日、いつものように授業をサボって友達の家で遊んでいたら、その家に電話がかかってきた。担任の先生からだった。そのまま教室に呼び戻されて、ビンタと正座の罰を受けることになった。その担任の先生は信念のある人だった。正しいと思ったことは相手が誰であろうと訴えて行動する人だった。

放課後に何度か居残りをさせられ、その度に何度も先生に諭された。これからの進路、母のこと、家族のことを話していたように思う。内容はハッキリとは覚えていない。

ある時期、僕はテストで白紙の答案を出したことがあった。そのとき、その場でその先生にめちゃくちゃビンタをされまくった。今の時代だとおおごとになる行動だが、その担任の先生は、僕が間違った行動をしてしまっているのを教えたかったのだろう。確かに、その熱情は感じられた。

その先生とは、僕が成人したあとも、何回かお会いして飲んだりもしている。

進学を考える時期になった。なんとなく僕は普通科を受験することになった。母と進路に関して話しあうこともなく、当時の僕は将来についてほとんど関心がなかった。かなり浅はかで、ただ今が良ければいいんだ、としか思っていなかった。

高校受験の日、母はお弁当を作ってくれた。ご飯をのりで巻いた俵巻き弁当。何かの折に母はよく作ってくれた。それは美味しかったのを覚えている。母のつくってくれた料理の中で、僕が一番好きだったのは、その俵巻き弁当だった。


卒業を控えた中学最後、クラスで遠足に行くことになった。場所はテッポウユリの咲き誇る大好きな岬だった。
バスを借り切って僕たち1クラスだけでの遠足。友人と一緒に、岬の端に沿ってぐるりと歩いた。テッポウユリが咲いていてとてもキレイだった。中学最後の大好きだったクラスメイト達と、最後にこの岬で遠足ができたことは、今でも大切な思い出になっている。

遠足から帰ったその夜、床に着いて目を閉じても、テッポウユリが風に揺れる姿が頭から離れなかった。