④シングルマザーに育てられ~小学校時代

1980年、僕は小学校に入学した。

入学式から帰ってきたその足で、アパートの玄関前で僕はまっすぐな立ちポーズになって、母に写真を撮ってもらったことは、今でも鮮明に覚えている。

母は、僕の入学と同時に、今まで祖母に預けていた姉をよび戻し、一緒に住むことにした。

この頃から、母、兄、姉、僕の4人家族の生活が始まった。

当時の島は一部の人を除いてみんな生活水準は低かったと思う。その象徴として思い浮かぶのが小学校1年生の時の同じクラスの子のことだ。その子の家に何かの機会で立ち寄ったことがあった。そこはコンクリートの床の粗末な一部屋に家族全員が雑魚寝しているような環境だった。特別な例かも知れないし、何より僕の記憶違いかもしれない。いずれにせよ僕はアパートに住めていただけでも恵まれていたんだと感じたことだけは覚えている。


衛生面も決して良くは無かった。今ではかなり少なくなったが、小学校3年生頃に僕は蟯虫に感染していた。薬を飲んで治療したが、トイレで便を出すと、その便からウジのような白い虫がたくさん出たり入ったりして衝撃的だった。僕が感染していたのを学校ではみんなが知っていて、それが原因でいじめられることもあった。


僕は本を読むのが大好きだった。図書館で毎週末、本を借りて読んでいた。しかし母は、本を読むのを嫌った。
「目が悪くなるからやめなさい」
いつもそう言って僕の目が悪くなるのを気にしていた。今にして考えてみると、母は、あまり教育には関心が無かったように思う。唯一大事にしていたことは、子どもの健康だったんだと思う。


母は時々突拍子もないことを言うことがあった。ある日、市販の風邪薬を買ってきて「これを飲んでいれば風邪にはならないから」と言って僕たちに毎日風邪薬を飲ませていたことがあった。さすがにそれは長くは続かなかったが、僕は少しの間それを信じて飲んでいた…


お金が無いから、との理由で、家族で旅行に行くこともほとんどなかった。
唯一、僕が小学校4年生の頃に、飛行機で本島へ親戚の家に遊びに行ったのが、最初で最後の家族旅行だったと思う。そのときはホントに楽しかったのを覚えている。

母の以外だった一面に、花札がやけに上手いというのがあった。若いころ、花札で賭け事でもしていた経験があったのかどうか・・

カードの切り方や気っ風のいい出し方。カードを配り間違えた時は、「こんな出し方したら怒られていたな・・」と、つぶやいていたのを覚えている。



土曜日の午後、授業が終わりお昼ご飯をすませると、僕は姉と2人でバスに乗り、祖母の家によく泊まりに行った。

途中のバスから見る島の景色が僕は大好きだった。
まばらに点在する四角い屋根の家々。
牛の糞の匂い。
風がさとうきびの葉を揺らす音。
たくさんの畑。
あの家にはどんな人が住んでどんな生活をしているんだろう、と想像するのが楽しかった。
祖母の作るお芋入りご飯も大好きだった。スライスしたお芋を米と一緒に炊飯機で炊くと、お芋もほっくりと火が通ってとても美味しくなる。たまに蟻が混入していることもあったが、気にせず取り除いてそのまま食べていた。

祖母の家に泊まりにいったある晩、猛烈にお腹が痛くなったことがあった。祖母が心配して、近くに住む従兄弟のお兄ちゃんに頼み、車で市内の夜間病院へ連れていってもらった。祖母が連絡してくれたのか、すぐに母も病院に駆けつけてくれた。

結局、原因は、ただの便秘だった。浣腸をして全部出すと、次第に落ち着いてきた。少し元気が出てきたので、実家には帰らず、そのまま祖母の家に戻ることにした。心配してずっと待っててくれた従兄弟のお兄ちゃんの車で、祖母の家へ向かった。

帰りの車のウインドウからみた夜空の星はとても綺麗だった。

さそり座が地上すれすれに、今にも隠れそうなくらい真横になって瞬いていた。


母は、普段は夕食を作る時間には帰っていたが、大晦日の夜だけは、仕事が忙しく、毎年帰りが遅かった。

僕たちは大晦日の夜は、母の用意してくれた島のソバを食べ、紅白を見ながら母の帰りを待つのが定番だった。