⑨シングルマザーに育てられ~島への帰省

1回目の帰省

島を出て4年後、僕は始めての帰省をした。

久しぶりに会う友人との飲み会など、滞在期間中は毎日のように交流した。

そして母と一緒に過ごす時間も作ることができた。
お昼ご飯のハンバーグを一緒に作ったり、スーパーに買い物に行ったりとした。


滞在2日目の夜0時過ぎのことだった。

「少し外に出ない?」

母が言ってきた。

「どこへ?」

僕が問いても返事は無く、ただ無言で母は何かを目指して夜道を歩き出した。

その後ろを僕は追いかけた。

10分くらい歩き、母と僕は海岸近くの団地に着いた。

まばらな照明に照らされる建物の合間に駐車されている車を、母は確認しているようだった。

おじさんの車が止まってないか見ているのか、母はひたすら無言だった。
僕は何も言わず、ただ見守っていた。

兄が以前話していた。
おじさんは他に女がいるらしい。

母はそれを心配して、おじさんの行方を確認していたのだろう。

しばらく、うろうろ見てまわったあと家へ戻った。

いったい何事なのかと、帰る道すがら母に何度か訪ねたが、終始、母は無言だった。



滞在中には、中学時代の恩師にも会った。
僕がビンタをしまくられた先生だ。

自身が正しいと思ったことは、周りから文句を言われても貫きとおす信念の人。
一緒に食事をして語りあった。

帰りに実家に寄って母に挨拶をして頂いた。

この時の帰省では、島に住み続ける人達のやさしい繋がりに、あらためて触れることができた。
しかし、人に寄ってはそれがしがらみとなって、重く感じる瞬間があるのかも知れない。

島を出たがる友人も何人か居たからだ。

母は島での暮らしに満足していたのだろうか?


母からは、自身の思いを聞くことはなかった。


滞在最終日の空港には、兄夫婦、そして友人が何人か見送りに来てくれた。



夜のフライト便。


離陸の時に見えた島の夜景はとてもキレイだった。

2回目の帰省

前回から2年後、僕は2度目の帰省をした。
あまり期間を空けずに、なるべく母に会う機会を継続していきたいと思っていた。


それでも2年間は空いてしまった。
帰省の運賃がすぐに用意できなかったからだが。


このときの僕は、低い収入で生活に追われていた。
母に対して、親孝行したい気持ちはあったが、結局何も出来ないままで過ごしていた。

だから、せめて会ってお互いに元気なことを確認し合える機会をもちたかった。


島の空港に着くとすぐに実家のマンションへ。

疲れて一眠りしたあと、起きて母の働く靴屋へと向かった。


母は変わらず靴屋の店員の仕事を続けていた。

仕事の終わり時間を見計らって迎えにいき、母と一緒にスーパーで買い物をして帰った。

その日の夕食は2人で食べた。


食事の後、兄の家へ母と向かった。

久しぶりの帰省ということもあり、近況などをなんとなく話していた。
兄夫婦と母と一緒にDVDを見たりして過ごした。

夜の10時をまわっていたが、兄の子ども達はまだ起きていて、おばあちゃんである母にかわいがられていた。



この時の滞在中に、父の実家へ訪ねていった。
島からフェリーに乗り20~30分くらいの距離にある小さな島だ。

母が父と結婚して暮らしていた島。

「初めまして」

体力的にも元気そうな父方の祖母が僕にあいさつした。

兄は何度か来ているようで、父方の祖母とは顔見知りだった。

父の実家には、知らない人達の写真が一杯飾ってあった。
僕が母のお腹にいた短い期間、母はこの家で暮らしていたんだろう。


思い出にはなかったが、何故かなつかしい感覚を受けた

島に滞在中は、毎日のように友人達と飲みに行った。
中学時代や高校時代の友人達、久しぶりの交流は貴重な時間だった。

滞在最終日、夜のフライト便を待つ間、空港で母と二人で食事をした。
ちょうど選挙が近かったこともあり、自然と投票の話や税金の話になった。

「私は、お金をいっぱいくれる人に投票するわ」

「そうねえ・・頑張って働いても、税金で取られてお金はいつも残らないし・・」

白いテーブルの向こう側に座わり、少し冗談まじりの口調で話す母の姿を覚えている。

結局、母と一緒に食事をしたのはこれが最後となった。

時間が来て、搭乗口へ向かった。

母に手を振ってさよならをした。

夜のフライト、

まばらに明かりが灯る島の夜景は、

いつもどおりキレイだった。