アルバイト生活
僕は、就職せずに複数のアルバイトで生活をつないでいた。
意味のないプライドなのか当時の僕には就職をしないこだわりみたいなものがあった。
もちろん家計は安定せず、お金が無いのが常体化していた。
風呂なしの木造アパートを借りて生活を始めた。
冬は寒く夏は暑い。
エアコンの無い部屋は快適とはほど遠い環境だったが、そのアパートには4年くらい居住した。
19才の頃、僕は大学病院での掃除のバイトを始めた。
バブルのはじけた直後だった当時、まだまだ働くところはたくさんあった。
その職場にはいろんな人が働いていた。
大学生、俳優さん、他企業の会社員、本職のある自営業の方、フリーターなど、僕が知らない世界で生きてきた人達ばかり。
そこでは貴重な交流を経験させてもらった。
東京での友達が始めてできた場所だった。
好きな女の子もできた。
何度か食事をしたり演劇をみに行ったり友達としてのお付き合いはしたが、それ以上のことはなく結局恋愛が実ることはなかった。
当時の僕は、音楽の仕事がしたいという気持ちはあったが、ずっと悩んでいた。
暗中模索。
行動もなかなか伴わなく空回りの生活を送る毎日が続いていた。
母とは電話で時々話してはいたが、簡素な内容で終わることが多かった。
とにかく母が元気で過ごしていることだけはわかっていた。
母からの荷物
都会での一人暮らしを続けている中、時々母から荷物が届くことがあった。
ダンボール箱の中には、たくさんの食品。
カップ麺、インスタントラーメン、缶詰、スパム、油みそ、りんごなど。
送られてきた油みそをご飯と食べた時、母の思いと故郷の懐かしさが込み上げてきて思わず泣いたこともあった。
そして、ダンボール箱の底には決まって一枚の茶封筒が必ず入っていた。
その中には数枚のお札。
時には
小銭だけが入っていることもあった。