①シングルマザーに育てられ~ はじめに

「18本」 
当時、小学生だった僕が歯科検診で告げられた数だ。僕は虫歯が18本あった。

正確には虫歯で抜けた歯の数も含まれていたのかもしれない。今となっては、それを確認することは出来ないのだが、いずれにしても18本の歯が正常ではなかったということなのだろう。


当時の歯科衛生に対する一般人の意識は、今と比べてかなり低かったらしい。子どもは歯が抜けて新しいのが生えてくるから虫歯になってもいいんだ、と。そんな風潮もあり、母からは歯磨きを習慣づけられることもなく僕の歯は虫歯だらけになっていた。

僕は、1970年代、南国の離島にて生まれ育った。
母子家庭の長男、長女、次男(僕)の3人兄弟。
僕を育ててくれた母は、僕がまだお腹の中に居るときに離婚を経験した。まだ幼児の兄と姉を抱え身重の身体で家を出たらしい。なぜ離婚をして家を出るようなことになったのか詳しいことはわからない。当時の思いや背景を母が語ったことは一度もなかったからだ。


年平均気温23.3度、年平均湿度79%の高温多湿な亜熱帯、人口5万数千人の島で20年以上、靴屋の店員として働き、母は僕たちを育て、生きぬいた。
高い学歴があるわけでも、特別な資格を持っているわけでもなく、毎月の収入もそこそこ、特に人目を引いたり目立ったりすることもなく、主義主張をまくし立てるようなこともなく、移動手段が車しかない島で、車すら運転することもなく、ただ地道にコツコツと子ども達のために働き続けた母のことを、何かの形で残しておきたいと思い、このブログに記すことにした。


僕が生まれて現在に至るまでの過程を軸に、ただ淡々と、母と僕の会話やエピソードを中心に書いていきたいと思う。全てを書き終わるまでに、長くかかるかも知れない。

誰かに読んでもらえることもなく、毎日の数え切れないほどの投稿記事の中に埋もれていってしまうのかも知れないが、それは仕方のないこと。

でももし、たまたま目に触れた方が、ほんの少しでも興味を持ってページを閲覧して頂けたのなら、

そのことにより、もしかしたら僕は、長年思い続けた感謝の思いを、母へ届けられたような、そんな気持ちになれるかも知れない。